「音楽などの音を再生する」という意味でのオーディオは、エジソン(Thomas Alva Edison)が1877年に蓄音機を発明したときから始まる。だが、エジソンが発明した蓄音機「フォノグラフ(Phonograph)」は、円筒の側面に音溝を刻む方式のため、録音を数多く複製することが困難であった。また、再生だけでなく録音もできるので、レコードプレーヤーというよりはテープレコーダーといったほうが適切といえる。もっとも、そのテープレコーダーすら、すでに蓄音機と同様に過去のものとなってしまい、知らない人が多いのではなかろうか。なお、オーディオの歴史についての情報の多くが米国中心なので、ここでは、黎明期におけるもう一つのオーディオ大国であるドイツに重きを置くことにする。
フォノグラフとの比較において、エミール・ベルリナー(Emil Berliner)が1888年に発明した円盤レコード方式の蓄音機「グラモフォン(Gramophone)」は、再生専用で録音ができないものの、プレス装置によってレコード盤を大量に複製できるという点で優れていた。この発明によって、グーテンベルグの活版印刷で本が飛躍的に普及したように、録音を多数複製して「出版」するという新しい事業が成立し、今日まで続くレコード文化が始まった。オーディオはレコード文化と一体のものであり、ベルリナーのグラモフォンこそが現在のオーディオへと直接連なる祖先である。
ベルリナーは1887年に蓄音機の特許を出願していて、すでに「グラモフォン」という名称を用いていたので、ベルリナーの円盤レコードの発明が1887年とされていることが多い。しかし、1887年の時点では溝がエジソンの縦振動に対し、現在のアナログ・レコードと同じ横振動になってはいるが、記録はエジソンと同じ円筒の側面に刻まれる方式であった。ベルリナーが「円盤方式」の「改良型グラモフォン」を発明したのは1888年である。ベルリナーはドイツのハノーファーで1851年に生まれたドイツ人で、アメリカに渡ってから発明家として活躍した。ハノーファーは後にアナログレコードの故郷となる。
同じくドイツ人のヘルムホルツ(Hermann von Helmholtz)は、大科学者というだけでなく、近代的な音響生理学の開祖としてもオーディオ愛好家が敬意を払うべき人物だ。ヘルムホルツは音波をフェーリエ級数を用いて周波数成分に分解し、和音や不協和音を科学的に解明した。また、内耳にある蝸牛と呼ばれる感覚器官で音波が周波数別に分解され、それによって人間などが音色を聴き分けるという仕組みも明らかにした。
ヘルムホルツを擁したドイツは、当時急速に発展した音響科学のメッカであった。ヘルムホルツの著書「自然力の交互作用」は、理系のドイツ語テキストとしてメジャーなので読まれた方も少なくないだろう。ベルリナーが故国ドイツで1889年に「グラモフォン」の特許取得と公開実験を行った際、ヘルムホルツがベルリナーのホテルを訪れて「グラモフォン」の実力を見聞したという記録が残されている。
グリーグ作曲・自作自演(ピアノ) 「ノルウェーの婚礼の行列」 (1903年録音)
オーディオが形作られてゆく、19世紀末から20世紀初頭にかけての歴史の一端を下表にまとめた。ずらりと並んだ大作曲家らの没年が示すように、この世紀の変わり目はクラシック音楽が偉大であった時代が終わりつつある数十年であった。この音楽史上で極めて重要な時代にオーディオ装置が辛うじて間に合い、歴史的演奏を録音とレコード盤によって後世に残すことができたということは、なんという幸運だろう。グリーグ、サン=サーンス、ドビュッシー、グラナドスといった大作曲家や、多くの巨匠級の演奏家が歴史的録音を残すことができた。例として1903年にグリーグがパリにあったG&Tのスタジオで録音したレコードを示す。1907年没のグリーグは、録音当時すでに健康状態が悪化していたが、ぎりぎりのタイミングで聴く価値のある録音を残せた。
オーディオ愛好家はアンプやスピーカーなどの機械に夢中になっている後ろめたさから、音楽愛好家に対して劣等感を抱きがちだが、上記のようにオーディオが音楽に少なからぬ恩恵を与えてきたことも事実だ。作曲家はオーディオが無くても楽譜などで作品を残せるが、「スウェーデンの夜鴬」と讃えられたジェニー・リンド(Jenny Lind:1887年没)が、文章や写真から歌声を想像するしかないように、もし、オーディオが無ければ、演奏家は自身の芸術を後世に伝えることができなくなってしまう。この「オーディオの歴史」は、そういうオーディオ愛好家の弁明でもある。
【ドイツと日本】
1868年:江戸(慶
応)から明治へ
1871年:
ドイツ帝国成立
1885年:伊藤
博文が初代総理に
1888年:ヴィルヘ
ルム2世が皇帝に
1889年:大日本
帝国憲法発布
1894~5年:
日清戦争
1904~5年:
日露戦争
1912年:
明治から大正へ
1914~8年:
第一次世界大戦
1918年:敗戦に
よりドイツ帝国崩壊
1919年:ヴァイ
マル共和国成立
1923年:ドイツで
猛烈なインフレ
:関東大震災
1926年:
大正から昭和へ
1929年~:
世界大恐慌
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【音楽】
1876年:第一回
バイロイト音楽祭
で「指輪」を上演
1883年:
ワーグナー没
1886年:リスト没
1893年:
チャイコフスキー没
1896年:
ブルックナー没
1897年:
ブラームス没
1901年:
ヴェルディ没
1903年:ヴォルフ没
1907年:グリーグ没
1911年:マーラー没
1918年:
ドビュッシー没
1920年:ブルッフ没
1921年:
サン=サーンス没
1922年:指揮者
ニキシュ没(後任は
フルトヴェングラー)
1924年:
プッチーニ没
1928年:
ヤナーチェク没
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【オーディオ】
1877年:エジソンが蓄音機を発明。
1888年:ベルリナーが円盤レコードに
よる蓄音機「グラモフォン」を発明:
米国のスミスが磁気録音方式を発明
1891年:オルゴールのポリフォン設立
1898年:デンマークのポールセンが
磁気録音装置を発明(針金に録音)
1899~00年:フーベルマン(Vn)らの
巨匠がベルリナーの7インチ盤に録音
1900年:フランスのゴーモンが円盤
レコード式トーキー映画を発明
1901年:「G&T」レーベルが登場し大
音楽家のレコード録音が本格化:ドイ
ツのルーマーが光学録音装置を発明
1903年:テレフンケン社設立
1906年:ド・フォレストが3極管発明
1908年:パテが縦振動盤を発売
1913年:ベルリンフィルがニキッシュ
の指揮で「運命」を全曲録音
1914年:ティーゲルシュテットが光学式
トーキー映画をベルリンで試験公開
1919年:トライ・エルゴンとド・フォレスト
がそれぞれトーキーを改良して特許化
1920年:KDKAがラジオ放送開始
1921年ごろ:SPレコードの販売ピーク
1925年:レコードの電気録音本格開始
1927年:世界初の本格的トーキー映画
「ジャズ・シンガー」(円盤レコード式)
1928年:クラングフィルム社設立
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(2014年3月 小林 正信)